日記・コラム・つぶやき

2012年7月27日 (金)

幽霊に会いたい。。。





僕はね。幽霊に会ってみたいんだ。



だってさ、幽霊がいるってことは死んでも何かしら残るってことじゃない。

それって楽しくない?



死んだら機械の電源が落ちるように無になるより、ずっと夢があるよね。

でも、現実には幽霊に会ったことはない。

だから、死んだら無になると思いながら生きているわけだ。



ああ、幽霊に会いたいなぁ。。。


そして小一時間問い詰めたい。



僕にとって一番の喜びは、知らなかったことを知ることだ。

幽霊に会って話が聞けたら、こんなに素晴らしいことはない。



幽霊、その辺にいないかなぁ・・・?








2012年4月28日 (土)

人生はトレードオフ。。。






経済の言葉に、【トレードオフ】っていうのがある。



まぁ、意味的には『あちらを立てればこちらが立たない』的な感じなんだけど、世の中って実際ほんとにこれで回ってる。




たとえば、結婚。この人と結婚すればあの人とは結婚できない。みたいな。

たとえば、ごちそう。これを食べたらあれは入らない。みたいな。

たとえば、ダイエット。これを食べたら痩せられない。みたいな。

たとえば、お金。これを買ったらお金は減っちゃう。みたいな。

たとえば、原発。脱原発するなら電気代は上がっちゃう。みたいな。





そんな中で、僕が大切に考えているのはやっぱり【時間】だ。


【時間】はとっても大切なんだよ。だって、消費する一方で、流れていく一方で、貯めてもおけないし巻き戻すこともできない。身体もどんどん経年劣化が進んでいく。

【お金】も大事なんだけど、これは工夫次第でたくさん得ることもできるし、貯めておくこともできる。一方的に減っていくなんてことはないんだよね。

でも、お金を得るためには、その人の才能と運によって程度の差こそあれ、自分の時間を売る必要がある。

できるだけ少ない時間で、たくさん稼げればすごくいいよね。で、さらに楽しみながら稼げれば一石二鳥だ。





時間の大切さってのは昔から知られててさ。昔々は、時の権力者はこぞって【時間の巻戻し】【時間の増加】を求めたもんさ。若返り、不老不死っていうね。

でも、その結果は、、、時間はやっぱり有限だったってこと。





時間ってほんと大切にしたいよね。。。







【限りある人生だ。ぱぁ~っといこう!!】by ジャン・ロック・ラルティーグ




2012年1月 9日 (月)

一番大事なものって何?





人生で一番大事だと思うものって何ですか? お金?愛?プライド?時間?


いろいろあるとは思いますけど、実はこれらって全部同じものに繋がってるんです。それが満足感・幸福感。


お金がないと生活していけないんだからお金が一番大事だって思う人は、お金があることによって安心感を得たり、それ使って好きな商品(サービスも含む)を買ったりして、実は満足感・幸福感を得ています。

お金なんて関係ない。愛だよ、愛!!と思う人は、人を愛すること、人に愛されることで満足感・幸福感を得ています。

プライドが大事だと思う人は、そのプライドを守ることが満足感・幸福感に繋がります。

Time is money! 大事なのは時間だよ。時間を売るんじゃなくて時間を買う立場になりたい。って思う人は、時間があることによって、時間を好きなように使うことで満足感・幸福感を得るのです。

他にも候補はたくさんあると思いますが、それらは最終的にはやはり自らの満足感・幸福感に集約されていきます。



このとき、何によって満足感・幸福感を得るのかは人によって違いますよね。だから、これが正しい答えだ!!なんてものはないのですが、その裏には必ず自らの満足感・幸福感があるのです。人はそのために行動するといっても過言ではありません。

だから、すべての人にとって一番大事なのは、満足感・幸福感だと思うんです。


で、このことを認識しているのとそうでないのとでは、人生結構変わってきたりするんじゃないかと思うんですよね。

大事なのが自分の満足感・幸福感だってわかっている人は、長期の視点が持てるので気持ちがブレることが少ないでしょうし、目先の変化にも芯の部分は守りながら譲るところは譲り柔軟に対応することもできるでしょう。無駄なことが減るので余裕が生まれ、結果満足感や幸福感もさらに高まりますよね。

反対に、お金とか愛とかプライドとか時間とか、そのカテゴリー段階までの認識はあっても、その奥に満足感・幸福感があることまで認識が至っていない人の場合には、視点が短期になりがちで、目先の変化に囚われて守る必要のないものを守ってしまったり、変にこだわって柔軟な対応ができにくくなったりして空回りしてしまうことも多くなってしまうのではないでしょうか。こういった状態だと、余裕もなくなって満足感・幸福感をさらに損なってしまうという負のスパイラルにはまりやすくなります。

自分の満足感・幸福感がどこにあるのかをしっかりと自分自身に問い直し、それを意識的に認識し、目先の物事に惑わされずにしっかりとした足取りでそこに向かって進んでいきたいですよね。



もちろん、子どもとの関わりでも満足感って大切です。同じことをやるのでも、言葉の掛け方一つ、持っていき方一つで子どもたちの満足感って大きく変わってくるものなんですよね。とりあえず形式を整える、やった事実を作るというだけじゃない、子どもの満足感を大切にした関わりを大切にしていきたいですよね。







2011年6月 9日 (木)

尾木ママ。。。






今日は尾木ママの講演に出席。


ほとんど半分以上はどうでもいい楽しい裏話だったけども、コアの部分は共感できるいい内容だったので重要ポイントを書き出しておこうと思う。。。





①諸外国は小中学校・高校での留年率が高い。けれどもこれは悪いことではない。なぜならそれは、わからない子をわかるまで(コストをかけてでも)ちゃんと教えているということだから。ダメなのは日本のように十分にわかっていない子でも『留年は可哀相』なんていう感情論で一律に進級させてしまうこと。これだと理解できない子がどんどん量産されていく。可哀相なのは留年することではなく、理解できないまま放置されることだ。



②2011年度の大企業の採用は35%が留学生であり、日本の大学生はメタメタに弾かれている。今後の計画では2012年度が55%、2013年度が75%の予定。

尾木ママはこれをすごく悲観的に捕らえていたけれど、なぐなぐはすごく楽しみだったりする。なぜなら、この国がやっと変わらざるを得ない状況に置かれたということだから。成長・発明の母である必要が生まれたってことになる。これまでどうやっても変わらなかった教育・雇用制度がやっと変わるってことだ。



③『褒めて育てる』というのは、なんでもかんでも褒めたらいいっていうものではない。例えば、子どもがテストで5点を取ってきたとき、「5点も取れたの~(*^_^*)頑張ったねぇ。えらい」っていうのはちょっと違うよね。

その場合は「どうしたの?」と事情を聞いてみたら「実は、昨夜1時まで英語の勉強をしてたんだけど、今日学校行ったらテストがあるのが数学だったんだよ。それでも、いつもなら勉強なしでも40点くらいは取れてたんだけど今日はびっくりしてパニクっちゃって…。すごく悔しかった」ってことだったりするかもしれない。

で、そこでは「そうなのか。つらかったんだね」とつらい思いを共感する。すると「でも、中学生にもなってテストの科目を間違えてたりってやっぱりダメだよね。今度は間違えないようにちゃんと紙に書いてくるようにするよ」と自分なりの解決策を見つけるかもしれない。ここで褒めるのが正解なんだよね。

「キミはやっぱりママとパパの子だ。ちゃんと自分で考えられたね。信じてたよ。えらい(*^_^*)」

これだと子どもは前に進めるよね。





これからの時代は社会主義的偽資本主義の化けの皮がどんどん剥がれていく。そしてその中で幸せを掴むためには、外語力・発想力・コミュニケーション力・プレゼンテーション力・論理的思考・洞察力などが必要になってくる。これらは従来の教育では獲得し得ないものだ。

僕の保育は外語力以外はこれらを育てることができていると思うけれど、就学後にこれらの能力が抑圧されては元も子もない。企業の採用活動の影響を受けて、この国の教育がドラスティックに変わってくれることを期待して待つとしよう。。。







2011年5月 9日 (月)

身近な幸せを大切にしましょう♪





ネットで意見表明なんてしてると、いくら議論しても堂々巡りの平行線のままなんてことがザラにあって、世の中にはいろんな考えの人がいるんだってことがホントによくわかる。

世の中にはいろんな“正しい”(とその人が思う)考えがあり、交わらなかったり交わったりしているんだよね。。。



人の心、考えはまさに十人十色。しかも時によってもまた移ろうもの。

そんな世の中で、果たして全ての人に共通した絶対的真理なんてものがあるのだろうか?

十人十色それぞれの心にあわせて真理もまた様々で、時により移ろうものなんじゃないだろうか。



実際、それぞれの集団が考える絶対的真理や正義、道徳が同じじゃなくてお互い認めないからこそ、この世には争いがなくならないんじゃないのかなぁ。。。





たとえば、全知全能・唯一絶対の存在を信じる人たちがこの世にはたくさんいるよね。

で、大抵はその存在は『神』なんて呼ばれてたりするんだけど、その唯一絶対のはずの『神』が世の中には何人(人でいいのかな?)かいたりする。

そして、それぞれを信じる者たちがお互いに認めずに争ったりする。

これってそれがすなわち、この世の中に唯一絶対はないということを示しているようになぐなぐは思うんだよね。





でもそう考えると、逆説的ではあるけれど『人の世に争いは決してなくならない』というのは絶対的真理と言っていいのかもしれないよね。

そして、岡本太郎氏のように「ぶつかることが調和なのだ」と思える境地こそ“悟り”“達観”というやつなのかもしれない。。。









話は変わるけど、唯一絶対の存在を信じる人たちは独裁政治至上主義だよね。きっと。

だって、彼らの求める世界ってずばり『唯一絶対の存在が独裁する世界』なんだもんね。。。





なぐなぐは神は信じないけど、でも独裁政治も悪くないとは思っています。

なぜなら、民衆を野放しに自由にさせるよりも民衆より賢い者が独裁した方が社会のレベルが高くなると思うからです。



民衆の自由度の高い社会で、それぞれが同程度に発言権を持ち、多数決で物事が決まる社会では、大きな失敗はない代わりに進歩もなく、堂々巡りで同じことを繰り返し、物事が先に進みません。

今の日本を見ればわかりますよね。



このとき、かなり賢い独裁者が現れて、ぐだぐだ文句ばかり言う人たちを黙らせて社会の構造を一気に良い方に変えてくれたらどうでしょう。

きっとその社会はものすごくレベルの高い社会になります。



だから、なぐなぐは独裁政治も悪くないと思うわけです。





でも、独裁政治には、民衆より愚かな者がトップにつく、または独裁者がなんらかの理由(慢心や変心、老齢化など)で民衆より愚かになってしまうと民衆を野放しに自由にさせる場合よりレベルの低い社会が形成されしまうというリスクがあります。

で、リスクが顕在化する度にその独裁社会は崩壊して消えていってしまいますから、結局のところは独裁社会は残っていかず、現実に最後に残るのは民衆を野放しに(※法という枠組みはありますがそれも民衆が考え出したものなので)自由にさせる社会(民主主義社会)になっちゃうんですよね。



と、いうわけで、いい独裁は社会のレベルを上げるんだけどずっとは続かないので、現実には民主主義の中で生きていくしかないってことになるんです。





で、その民主主義社会では、全体での意思の統一がうまくいかないから、社会全体としては同じことを繰り返してなかなか先へ進めず、社会としてのレベルがなかなか上がっていかないんですよね。

こういう社会では、マクロな視点で全体最適を考えることは無意味で、ミクロな視点で身近な幸せを追及する方が合理的です。

いくら全体最適を考えてもそれは実現されませんから、フラストレーションが溜まるか、自己満足・自己陶酔に浸って周囲の人たちから敬遠されてしまうか、どのみちあまりロクなことにはなりません。

それよりも、全体最適なんて放っといて身近な幸せだけを考えてた方がずっと幸せな人生を送ることができるはずです。







ってことで。みんな!!身近な幸せを大切にするがぜよ~♪(⌒▽⌒)ノ☆















―追記―

余談ですが、この意思統一のできにくい民主主義社会において、ある程度意思の方向をまとめていくためのツールとして考えるなら、宗教というのはかなり優れている部類に入るんじゃないかとは思っています。。。





2009年1月 4日 (日)

土佐の八金ばあちゃんの昔話。





ウチの奥さんのおばあさんの昔話はいつ聞いてもおもしろい。




今日の話は『ばあちゃんのお母さんの命が延~びた。の巻』。





昔、おばあさんが8歳のころ、おばあさんのお母さんが命にかかわる病気になったそうな。


そこで、おばあさんは毎日毎日、学校からも急いで帰って看病したんだと。


そんなある日、近所のおばちゃんたちが話しているのを聞いて、毎朝学校へ行く前に、近くにあったお大師さまに3×7の21日間、お参りすることにしたんだそうな。



『私の命を20年縮めていいから、お母さんの命を助けてください』って。



そして、21日目の日、なんだか学校へ行かない方がいいように思えて、近所にいた友達に「あたしゃ今日は学校へ行かんき、言うちょいてや」言うて、学校を休んだんじゃと。



それでも、勉強はせんといかんと思うて、机に向かっていろはの勉強をしよったら、なんだか眠たくなってうたた寝をしてしもうたそうな。



そうしたらまぁ、夢枕に弘法大師様が現れて、「お前の母親の命を助けよう」って言うていったんやって。



ハッとして目が覚めて、ふっとお母さんを見たら、両手を合わせて拝みゆうやないか。


「おかあさん、どうしたで?」いうて聞いたら、「お大師様が来ちょった」言うて涙を流しゆう。


お母さんの所にも来ちょったがやねぇ。



そんなことで、ためしにお母さんに「立てってみたら?」って言うてみたら、それまで寝たきりやったお母さんがすっくと立って、それからみるみる元気になったんやって。





さて、それから何年も経って、おばあさんが27歳のころ、お母さんはガンになった。


おばあさんは一生懸命働いて、お母さんの治療費を稼いだ。





そうしてまた半年が過ぎたころ、お母さんが危篤いう電報が来た。



医者からは、最初に「長くて一年。早ければ半年の命」と言われちょったき、『もうお迎えが来たがかもしれん』と思うて急いで帰ったけど、お母さんはもう亡くなっておったそうな。



でも、死に目に会えんかったけど、そのときは不思議にあんまり悲しいと思わんかった。



それから、お母さんをお風呂に入れて、一反木綿を買うてきて着物を縫うて着せて、葬式も出した後、急に涙がトウトウと流れてきたんだと。


いとこが「今日は思わく泣け」言うもんやき、涙がどんどん溢れてきて泣きに泣いた。



それから少しして落着いて、縁側でぼ~っと考えてみたら、お母さんが死んだのは、お大師様が現れてからちょうど20年目やったんやって。



おばあさんはそれまで、お大師様のことは誰にも言うてなかったけんど、近所の良くしてくれるおばあちゃんに初めてそのことを話したら、そのおばあちゃんはこう言うてくれたそうな。


「おまんの命は20年縮んだんじゃのうて、お大師様がおまんの行いを見て20年命を接いでくれちょらぁよ」ってね。







で、奥さんのおばあさんは御歳83歳。まだまだ元気です。

100歳越えて欲しいなぁと思っています。



こんな話を聞いて、いつも思うのは、このおばあさんの昔話を録音しときたいってこと。

たくさん集まったら本にできないかなぁ。。。







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