☆経済・社会・政治のはなし☆

2012年9月 8日 (土)

選挙制度について。。。(要点まとめ短縮ver.)





前回、選挙制度について書いたのですが、少し長かったので、要点を短くまとめたものも書いておきます。




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最近、次期衆院選についての言及を目にすることが増えてきましたが、選挙制度について思うことがあります。

現在、衆院選の比例代表選挙は拘束名簿式という方式がとられています。これは、比例代表での当選者を決めるための候補者名簿の順位を政党が決める方式で、各政党の重鎮は毎回ほぼ確実に当選していくことになります。

しかし、私たちの感覚とは違う人でも政党内で力を持っていれば毎回当選してしまうというのは何とも理不尽な気がします。

これに対して、参院選の比例代表では非拘束名簿式という方式がとられており、当選者を決めるための順位は政党が決めるのではなく、比例代表選挙のときに個人名での票を多く集めた候補者順で決まります。この方式だと、有権者が「この党の中のこの人に当選してほしい」という希望をより丁寧に汲み取ることができます。

衆院選でも比例代表選挙が非拘束名簿式になればいいなぁなんて思う今日この頃です。

また、各立候補者の主張についてより深く知るために、そして知るための選択肢を増やすために、インターネットでの選挙活動も解禁した方がいいんじゃないかなぁとも思っています。

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2012年8月28日 (火)

比例代表は衆院選も非拘束名簿式にしたほうがいいよ。。。





なんだか難しいタイトルですが、引かないで( ̄∇ ̄;)。。。


わかりやすく解説します。




今の日本の国会議員選挙ってけっこう複雑なんですね。


総理大臣を選出したりする衆議院の議員選挙では、480ある議席のうち300議席を小選挙区選挙で、残りの180議席を比例代表選挙で選んでいます。

こういうのを小選挙区比例代表並立制って言うんですけど、この用語は置いといていいです。用語より内容が大事ですから。



で、小選挙区選挙っていうのは皆さんおなじみの選挙で、選挙カーに乗ったり街頭演説なんかしたりと、あなたの街で選挙活動をしている人たちの中から1人を選んで投票する選挙です。

選挙区っていうのが全国で細かく決まっていて、その選挙区ごとに立候補者がいます。そして、選挙区ごとに当選者が決まります。

つまり、私たち有権者は個人に一票入れるわけです。当然、自分が認めた人に投票できますよね。 ま、その反面「票を入れたい候補者がいない」なんてことも起こりやすかったりするんですけどね。



一方、比例代表選挙っていうのは、政党に投票する選挙です。有権者は支持する政党を選んで投票し、その得票数に応じて各政党に当選議席数が割り当てられます。そして、各党の比例代表選挙立候補者名簿に載っている人の中から当選者が決まります。

このとき、現在の衆議院議員選挙では拘束名簿式という方法がとられていて、事前に各政党が候補者につけた順位に沿って当選者が決まることになっています。なので、その政党内で幅を利かせている重鎮たちは名簿の上位に載るので、ほぼ確実に当選することになるんですね。

こんな感じなので、有権者からすれば「あの人のためにあの党に票を入れたんじゃないんだけど…」みたいな人が毎回当選しちゃったりするわけです。

これではなんだか詐欺に遭ったみたいですよね。政界の新陳代謝も進まないし。。。 困ったものです。




これに対して、参議院議員選挙では現在、比例代表選挙は非拘束名簿式という方法がとられています。

この方法だと、候補者名簿の順位は政党が決めることができません。

有権者は、投票するときに政党名もしくは候補者個人名を記名して投票します。そして、個人名での得票数が多い人から名簿の順位が付いていきます。で、この順位に従って各党が獲得した当選議席数に応じた当選者が決まるんですね。

こんな感じで人気のある人から当選できるようになっているので、重鎮だからといって簡単に当選できるわけではなく、「あの人ダメだ」と思われた人は落選することになります。

つまり、有権者(国民)の意思をより丁寧に汲み取ることができるわけなんですね。新陳代謝も起こりやすくなります。


ただ、参議院は衆議院にくらべて権限が弱く、決定力がないのが難点です。




ということで、今回僕が提案したいのは、【衆院選も比例代表は非拘束名簿式にしちゃえばいいんじゃないの?】ってことです。

与党の代表が総理大臣になっちゃうんだから、変な人が総理大臣になるリスクを減らすためには「あの人ダメだ」って人には落選してもらわないといけないでしょ?

今のままだとまた変な人が総理大臣になっちゃいますよ。ってお話でした。







2012年8月 2日 (木)

グループで判断するのはナンセンス。。。




最近、警察官の不祥事が相次いで報道されています。警察に対して不信感を抱く人も多いのではないでしょうか。


でも、これは間違い。感情に流されているだけの反応です。



なぜかって? それは、グループや集団で判断すること自体がナンセンスだからです。



世の中には色々なグループ、集団があります。学校もそうだし、政党もそう。公務員という集団もありますし、先の警察もそう。部活やサークル、友だち同士の仲良しグループだってあるでしょう。

そして、そのメンバーを見ると一人一人が違います。考えてみると、世の中まったく同じ人間なんていないのですから当たり前です。

人が集まれば、中身は十人十色。一枚岩ではないのです。

おもしろい人もいる。真面目な人もいる。才能のある人もいる。頭の切れる人もいる。そして、不真面目な人や非常識な人もいるのです。



でも、不祥事などがマスコミで取り上げられると、それを見た人々は肩書きやグループで判断してしまいます。「警察なんて信じられない」なんて感じで。

犯罪を犯した人に精神障害があったと報道されると、その精神障害のある人みんなが犯罪を犯すような錯覚に陥る人がいます。

外国人が犯罪を犯したと報道されると、外国人全てが悪人のように言う人がいます。

交際した異性に浮気をされたといって、異性全てを信じられなくなる人がいます。



でも、そんなのはナンセンスです。そういう判断をするなら、世の中すべてが悪人になってしまいます。だって、どこの集団にもいい人とそうでない人はいるのですから。




いま、世界は個人の時代です。所属グループよりも個人の才能と努力で幸せを掴んでいく。そんな時代です。

グループで判断するなんてナンセンスなことはやめましょう。そして、いい時にもグループで判断されることに甘んじないで、個人の才能を伸ばしましょう。

道はグループではなく、あなたが開くのです。







2012年7月24日 (火)

相関関係と因果関係。。。




最近、というか以前からですけど、相関関係と因果関係を区別できない人をよく見かけます。

ま、普段から意識していないとこの2つを混同してしまうのは仕方ないとも思うんですけど、トンデモ論に騙されちゃう人たちってこれらを混同してるケースが多かったりしますから、わかりやすく説明したものがあればいいんじゃないかなと思って書いてみます。



相関関係っていうのは、 「ASCII.jpデジタル用語辞典」
 によると

2つの値の関連性のこと。散布図で調べられる。相関関係の種類に、正の相関、負の相関、無相関がある。x、yという2つの変数による散布図で、xが増加するとyも増加する傾向にある場合、正の相関関係があり、xが増加しているにもかかわらずyが減少する傾向にある場合、負の相関関係があるといえる。そのどちらにも当てはまらない場合、無相関であるといえる。

と解説されています。


正の相関関係がある、負の相関関係があるっていうのは、簡単に言うと【2つの物事があって、どちらかが動くときにもう一方も動いている傾向がみられる】っていう状態のことで、どちらが原因でどちらが結果かまではわかりません。で、どちらも原因でなくて、別の原因が他にあってそれが2つの物事を同時に動かしている、なんていうこともあります。この【原因が特定できない】っていうのが大事なところです。



因果関係の方は、そのまんま原因と結果の関係のことで、どちらかが原因でもう一方が起こるっていう関係です。





で、世の中にあるいろいろな数値データからわかるのは相関関係があるっていうことまでで、実は因果関係は証明できないんですよね。因果関係は相関があるものの中から想像するしかないんです。もちろん、他の諸条件を揃えながらデータを積み重ねることで因果関係の確からしさは上げることができます。でも、可能性は上がるけど確証ではないんですね。


たとえば、タバコをよく吸う人ほど発ガン率が高いというデータがあったとします。データからわかるのは、タバコを吸う量が増えるに従って発ガン率が増えているという正の相関関係があるってところまでです。発ガン率が増えたのがタバコのせいだという因果関係までは証明しません。案外、タバコをよく吸う人は生活習慣の中でお酒もよく飲んでいて、実際はお酒の方が原因だったなんていうこともあるかもしれません。ま、タバコを吸う人の真っ黒な肺の写真とかも見たことあって普通に考えるなら、タバコのせいでガンになるっていうのは想像に難くないんですけどね。

たとえば、世界の各都市を調査すると警察官が多い都市ほど犯罪件数が多いというデータがあったとします。このとき、警察官が多いのが犯罪が起こりやすい原因だって考えてしまうと、犯罪を減らすために警察官を減らすっていう結論に行きついてしまいます。これって変ですよね。でも、こんな風に考える人も広い世の中いないことはないんです。だって、相関関係は因果を証明しないから。


じゃあ、こんなのはどうでしょう?

新聞を読んでいる子どもの方が読んでいない子どもよりも成績が良いというデータが発表されたとします。新聞各社もこれ幸いと「新聞を読めば成績が上がります」なんて言って大キャンペーンをやっている。こんなとき、成績向上のために子どもに新聞を読ませるのは適切だと思いますか?

実際は、このデータは【新聞を読むことと成績に何らかの関係があるかもしれない】ことを示しているだけであって、新聞を読んだからといって成績が上がるとは限りません。新聞を読むから成績が良くなったのか、成績がいい子どもほど知的好奇心が強いから新聞も読んでいるのか、はたまた勉強ばかりしていて他に趣味がないから暇つぶしに新聞を読んでいるだけなのか、何が原因で何が結果なのかは実際にはわからないんです。想像してみても、どれもありそうでしょ?



で、ここに落とし穴があるんです。

実は専門家でも原因と結果を取り違えて分析してしまったり、他のところにある原因に気づかなかったりすることがあります。ましてや、専門家ぶっているだけの、ネットやメディアで「活躍」している有名人なんかなら尚更です。中には知っていてわざと原因と結果を取り違えたふりをしてデマを流す人もいたりしますから気をつけないといけません。


相関関係と因果関係は違うっていうことを知っていないと、相関があるデータを見せられて「○○が原因で■■が起きてるんですよ」って言われると、データがあるんだからとすぐに信じて騙されてしまったりします。さっきの例で言うと、すぐに新聞を買っちゃったりね。

こんなときに『相関関係と因果関係は別物。これはホントに○○が原因で■■が起こってるの?』って一度立ち止まって考えられるように、普段からデータに接するときには両者の区別を意識しておきたいですよね。

自分が騙されるだけならまだマシですけど、そのデマを拡散して親しい人たちに被害を与えてしまうと取り返しがつかなくなることもあるかもしれませんし。。。





相関関係と因果関係の違いに気をつけながら世の中を見ていくと、新しい発見もあったりして案外楽しいかもしれませんよ(*^_^*)♪








2012年7月19日 (木)

多数決が機能するためには正しい知識の普及が不可欠。。。




今の日本は民主主義。多数決で物事が決まっていく。

でも、多数決で決まっていく物事は、さて正しい方向に向かっているだろうか?



多数決では、当たり前だけれど数の多い方が勝つ。

さて、では一つの物事に対して、正しく判断できる人と正しく判断できない人と、どちらが多数派だろう?


みんなが知っているような一般的な問題だと、正しく判断できる人の方が圧倒的に多数だろう。だから、こういったタイプの問題は多数決で十分に正しい方向へと進んでいく。

他方、その方面に関して深く知っていないとわからないような専門的な問題だと、正しく判断できる人よりもできない人の方が多数になるだろう。この場合には、結論は人々の印象に左右されやすくなり、正しくない方へ進む可能性が高くなる。これでは多数決は正しく機能しない。

そして、現在起こっている原発、消費税など種々の問題は後者にあたる。



これら後者で生じる問題を克服するには、参加者(国民)全員への正しく深い知識の普及が必要だ。しかし、現実問題として全ての人がすべての知識を得るのは不可能だということはすぐにわかる。

よって、そういった問題では現在の多数決では判断を誤る結果となる。民主主義の敗北だ。


だから、この問題を解決するためには、専門的知識の必要な問題では専門家だけを集めて多数決をとるか、もう最初から多数決をやめるかしないといけない。

ま、そうなると陰謀論が出てきたりして面倒くさいことにもなるんだけどね。



正しい知識を持った人が少数派になってしまうような問題における多数決は【衆愚】の温床になる。

ある物事に対して賛成や反対の意思表示をしたいときには、是非その前に十分な知識を得た方がいい。【衆愚】の片棒を担ぐなんて殆どの人たちは嫌だろうからね。

逆に、何かの問題で自分の意見を多数派に持っていきたい人は、正論(だと思っていること)をただ押し通すんじゃなくて、好印象を得るための印象操作に力点を置いた方がずっと効率がいいよ〜ん。ってお話。。。




ほじゃ、またの〜( ̄ー ̄)ノ☆








2012年5月 4日 (金)

論理と感情はどうやって擦り合わせるの?






今、ネット上で橋下大阪市長を取り巻いて原発再稼働問題についての論争が盛り上がってるんだけど、あれは論争してたって何も解決しないんだよね。



なんでかって?


それはね。論理と感情が擦り合わないからなんだよ。



経済性を持ち出して論理で攻める論客の言ってることは合理的なんだけど、世の中は論理で回ってるんじゃなくて感情で回ってるんだよね。

だから、いくら合理的な案でも、国民感情の合意を得ないと空回りするだけになる。



世の中が感情で回ってる理由は何度も述べてきた部分なんだけど、おさらいしとくとこうだ。

世の中すべての知識を持つ全知全能の人なんていない。だから、人には得意分野と不得意分野がある。得意分野については論理的に判断できる人も、不得意分野では知識不足で感情的に判断することが多くなってしまう。

このとき、一つの事柄に対して考えると、よく知っていて論理的に判断できる人の数は、よく知らなくて感情的に判断する人の数より少なくなることがほとんどだ。とりわけ、複雑で難しく、生活から離れたものほどこの傾向は強化される。

よって、多数決で決まる世の中では、論理より感情が世界を動かす。

こんな感じ。



で、今回の問題は放射線や発電方法別のリスクという、感情に支配される傾向の極めて高いテーマを扱っているために、感情を動かさない限りは何も動かないんだよね。





でも、ただ感情的に合理的でない方に世の中進んで行っても、あんまりいいことなさそうだよね。


そうなると、じゃあどうすんの?って疑問が出ると思うんだけど、その答えになるのが【経験から学ぶ】ってことだ。


幼児教育でもそうなんだけど、知らない人に難しいこと教えるのには、やってみさせるのが一番いいんだよね。自分でやってみて結果を体験すると、そこから論理が実体験として入ってくる。そしてそれは忘れにくい知識となって残っていくんだよね。


これを今回の件に当てはめると、【原発再稼働できないままその結果を体験してもらえばいい】ってことになる。



論客は感情を動かすことができてないんだからさ、どの道そうなっていくとは思うんだけど、原発再稼働しないまま夏を迎えるでしょ。電力足りなくなるでしょ(ま、足りなくならないかもしれないけどさ)。で、電気代上がるでしょ(これはほぼ確実)。

これが嫌なら原発再稼働した方がいいんじゃない?的な感情も出てくるでしょ。ま、自然エネルギーだ!!って話になるかもしれないけどさ。そうなるとますます電気代上がっちゃうからね。

で、国民は感情の部分で気付くわけ。【原発なくして電気代も安いままなんてうまい話はなさそうだぞ。。。】ってね。



そしてそうやって、論理的合理性に感情が擦り合わされていく。




こういうのがさ、あの有名な【神々の見えざる手】ってやつなんだと思うよ。市場経済も世の中も、こうやって試行錯誤しながらゆっくりと感情を変えながら調整されていくんだよ。

得意分野で知識も豊富にある人は、その歩みの遅さに辟易してイライラしちゃうかもしれないけどさ。世の中そんなもんなんだよ。

この歩みを早めたいなら方法は一つ。国民感情を動かすこと。これに尽きるんだよね。



そういった意味で、橋下大阪市長は頑張ってると思うよ。国民感情を動かすことに成功してる。世の中の歩みを早めてる。

政治ってこういうことなんだよね。


世の論客たちには、国民感情を動かす方法についての議論も深めてほしいと思うな。我こそはと思う論客のみなさん。よろしくお願いしますね~♪








2012年4月28日 (土)

人生はトレードオフ。。。






経済の言葉に、【トレードオフ】っていうのがある。



まぁ、意味的には『あちらを立てればこちらが立たない』的な感じなんだけど、世の中って実際ほんとにこれで回ってる。




たとえば、結婚。この人と結婚すればあの人とは結婚できない。みたいな。

たとえば、ごちそう。これを食べたらあれは入らない。みたいな。

たとえば、ダイエット。これを食べたら痩せられない。みたいな。

たとえば、お金。これを買ったらお金は減っちゃう。みたいな。

たとえば、原発。脱原発するなら電気代は上がっちゃう。みたいな。





そんな中で、僕が大切に考えているのはやっぱり【時間】だ。


【時間】はとっても大切なんだよ。だって、消費する一方で、流れていく一方で、貯めてもおけないし巻き戻すこともできない。身体もどんどん経年劣化が進んでいく。

【お金】も大事なんだけど、これは工夫次第でたくさん得ることもできるし、貯めておくこともできる。一方的に減っていくなんてことはないんだよね。

でも、お金を得るためには、その人の才能と運によって程度の差こそあれ、自分の時間を売る必要がある。

できるだけ少ない時間で、たくさん稼げればすごくいいよね。で、さらに楽しみながら稼げれば一石二鳥だ。





時間の大切さってのは昔から知られててさ。昔々は、時の権力者はこぞって【時間の巻戻し】【時間の増加】を求めたもんさ。若返り、不老不死っていうね。

でも、その結果は、、、時間はやっぱり有限だったってこと。





時間ってほんと大切にしたいよね。。。







【限りある人生だ。ぱぁ~っといこう!!】by ジャン・ロック・ラルティーグ




2012年2月28日 (火)

衆愚政治。。。






先日、とある記事で【衆愚政治】という言葉を目にする機会があったので、これについて考えてみたい。



【衆愚政治】とは、辞書によると【自覚のない無知な民衆による政治。ペリクレス死後のアテネの民主政治の堕落を批判していった語。】とある。


なんだかわかるようで抽象的なので掴みにくい。



さて、この中で『自覚』とは何に対してのものだろうか。


僕は【負担に対する自覚】なのではないかと思う。



国や自治体、政府が財政的な支出をするとき、必ずそのお金は国民の誰かが支払うことになる。


このとき、国民に【それらの支出は自分たちが負担するのだという自覚】がなければ、国民は政府・自治体に対して「あれをしてくれ。これをしてくれ。くれくれくれ!!」と欲しがることばかりなってしまう。


しかも、負担を求められる段になると「税金を上げるなんてとんでもない!!」なんていう話になる。


そして、政治がそれに逆らえなければ衆愚政治となってしまうのだ。



お金はどんどん出す、税金は上げられない。国債で賄う。政府債務が積み上がる。それを負担するのは将来の国民、つまり私たちの子どもであり、孫であり、その先の子孫だ。



【将来世代からの搾取】

これが現代衆愚政治の姿だと言えるのではないだろうか。





衆愚政治にならないために、衆愚政治の片棒を担がないために、【政府・自治体は金のなる木なんて持っていない。政府・自治体の財布と私たちの財布は繋がっているのだ】という自覚をしっかりと持っていたいものである。










もちろん、これまで衆愚政治の片棒を担いできた方たちに、それ相応の負担をお願いするのもお忘れなく。。。








2012年1月29日 (日)

机上の正論???





1月29日の高知新聞「喫水線」に『机上の正論』という記事があった。

TPPは地方の零細高齢農家から仕事、土地を奪う可能性があることを見過ごしてはいけないというような内容だったのだが、さてしかし、現状の手厚い補助金や優遇が誰の負担によって成り立っているのかという問題が見過ごされてはいないだろうか。


これら保護のために若者から働き口を奪ってはいないか?

若者からお金(税金)を奪っていないか?

若者が土地なんて持てなくなってきてはいないか?


それらを見過ごせば、それこそ机上の空論になってしまう。



経済には【トレードオフ】という言葉がある。『あちらをたてればこちらがたたない』という意味の言葉なのだが、国民から税金を集めてそれを何かに使うというのは正にこの状態が生じる。

国債を発行すれば?と思う人がいるかもしれないが、政府債務残高の積み上がりもまた子孫へのツケの先送り、子孫に借金の支払いを残すということだからこちらがたたない。

誰の負担で誰が恩恵を受けているのか、受けるのか、またそれは多くの国民が納得できるものであるのか、しっかりと考え直すべき時期が来ているのかもしれない。

もちろん、それが高齢者にもやさしいものであるならばそれに越したことはないのだけれど。







2012年1月 9日 (月)

一番大事なものって何?





人生で一番大事だと思うものって何ですか? お金?愛?プライド?時間?


いろいろあるとは思いますけど、実はこれらって全部同じものに繋がってるんです。それが満足感・幸福感。


お金がないと生活していけないんだからお金が一番大事だって思う人は、お金があることによって安心感を得たり、それ使って好きな商品(サービスも含む)を買ったりして、実は満足感・幸福感を得ています。

お金なんて関係ない。愛だよ、愛!!と思う人は、人を愛すること、人に愛されることで満足感・幸福感を得ています。

プライドが大事だと思う人は、そのプライドを守ることが満足感・幸福感に繋がります。

Time is money! 大事なのは時間だよ。時間を売るんじゃなくて時間を買う立場になりたい。って思う人は、時間があることによって、時間を好きなように使うことで満足感・幸福感を得るのです。

他にも候補はたくさんあると思いますが、それらは最終的にはやはり自らの満足感・幸福感に集約されていきます。



このとき、何によって満足感・幸福感を得るのかは人によって違いますよね。だから、これが正しい答えだ!!なんてものはないのですが、その裏には必ず自らの満足感・幸福感があるのです。人はそのために行動するといっても過言ではありません。

だから、すべての人にとって一番大事なのは、満足感・幸福感だと思うんです。


で、このことを認識しているのとそうでないのとでは、人生結構変わってきたりするんじゃないかと思うんですよね。

大事なのが自分の満足感・幸福感だってわかっている人は、長期の視点が持てるので気持ちがブレることが少ないでしょうし、目先の変化にも芯の部分は守りながら譲るところは譲り柔軟に対応することもできるでしょう。無駄なことが減るので余裕が生まれ、結果満足感や幸福感もさらに高まりますよね。

反対に、お金とか愛とかプライドとか時間とか、そのカテゴリー段階までの認識はあっても、その奥に満足感・幸福感があることまで認識が至っていない人の場合には、視点が短期になりがちで、目先の変化に囚われて守る必要のないものを守ってしまったり、変にこだわって柔軟な対応ができにくくなったりして空回りしてしまうことも多くなってしまうのではないでしょうか。こういった状態だと、余裕もなくなって満足感・幸福感をさらに損なってしまうという負のスパイラルにはまりやすくなります。

自分の満足感・幸福感がどこにあるのかをしっかりと自分自身に問い直し、それを意識的に認識し、目先の物事に惑わされずにしっかりとした足取りでそこに向かって進んでいきたいですよね。



もちろん、子どもとの関わりでも満足感って大切です。同じことをやるのでも、言葉の掛け方一つ、持っていき方一つで子どもたちの満足感って大きく変わってくるものなんですよね。とりあえず形式を整える、やった事実を作るというだけじゃない、子どもの満足感を大切にした関わりを大切にしていきたいですよね。







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